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2007年09月13日

たこ焼は,人間が生きてきた証・・・

進化したたこ焼がどのようにして誕生し、現在の形になったか?
そのたこ焼の歴史を覗いてみよう・・・
         
  

   珍たこ焼大陸 たこ焼の歴史紹介《第2段》
                    ※たこ焼進化論※より 

小麦粉を使った食べ物が中国から伝来したのは奈良時代

小麦粉を水で溶かして生地を作り縄状にして食べる唐菓子が、

麺類の先祖などと言われています。



その中に小麦粉で作った生地を餅にして焼く、煎餅(センビン)という

センベイの先祖のような菓子がありました。

 話は飛んで、群雄が割拠して戦いに日々明け暮れた戦国時代

そんな血なまぐさい時代に、なんと、この唐菓子に具材を入れて

焼菓子にした[小麦粉の鉄人]が現れます。茶道で有名な、あの千利休

です。 



利休の考案したものは「麩(ふ)のもの」と呼ばれ、小麦粉を

酒と水で練って生地を作り、焼くときに具材のサンショ入りの甘味噌を

塗りこんだ焼菓子なのだそう。利休が あの太閤豊臣秀吉を相手に、

茶席の茶菓子として、この「麩のもの」を振舞ったと古文書に記録

されています。



当時の茶道は、おもてなしの演出に相手を感服させる

工夫を凝らす、一種の心理ゲームを楽しむ側面があったと言われます。

茶道の巨人、千利休が振舞った具材入りの焼菓子。

ピリカラ山椒の芳香と甘味噌入りの斬新なお菓子。   

きっと秀吉も食べてみて驚いたに違いありません。実に結構な

お点前です。



※煎餅(センビン)は、焼菓子の「麩」として室町の頃より茶の点心として

用いられてましたが、記録に残る具材入りの「麩」は、千利休が最古と

言われています。 麩のものは江戸時代に庶民の間で大流行します。




東京の「桜餅」は、この麩をヒントに生まれたとか・・・

さらに時代は下って明治時代になると、軟らかい小麦粉が

アメリカから輸入されて来ました。俗に言うメリケン粉
です。

明治後期、このメリケン粉を水で延ばし、桜エビや野菜などの具材を

入れて鉄板で焼いて食べる菓子が生まれます。



かの有名な「もんじゃ焼」です。東京では、駄菓子屋の片隅にある

鉄板の上で焼きながら食べていたという「もんじゃ焼」は、持ち帰り用

に水の配分を少なくして固めに焼き上げた「どんどん焼」に姿を変えて、

屋台の売り子が叩く太鼓の「どんどん」という音も賑やかに全国に普及

していきました。 関西にやって来た「どんどん焼」は、大正時代には

一銭洋食」という“安くて美味い”に弱い関西人をくすぐる名前で

呼ばれ、ハイカラにソースなどを塗って食べられるようになりました。


 
この一銭洋食は水っぽい生地を鉄板で焼くので、どうしても平らに

広がってしまいます。戦後、ここからお好み焼が誕生しますが、

それはそれと致しましょう。 さて、生地を窪みのある鉄板に流し込んで

焼けば、ひと口サイズに焼けることを発見した人がいます。




小さな球形にまとまったその形から名づけて「ちょぼ焼」。

駄菓子屋や屋台で、手軽に焼けるちょぼ焼は、再び子供のおやつとして

大阪でブームとなります。この「ちょぼ焼」が「たこ焼」の原型で

あると言われています。窪みのある鉄板で焼くことで球形に進化して、

たこ焼は、だんだんと現在のたこ焼に近づいていきます。




「ちょぼ焼」は大阪の食文化のなかで進化します。何より大阪はダシと

薄口醤油が売りの食い倒れの街。「ちょぼ焼」も、表面にソースを

塗らずに生地自体に味つけしてみたら美味いのではないか、と。こうして

誕生したのが「ラジオ焼」です。 小麦粉と 醤油を下味にしたダシで

溶かして コンニャクやネギなどを入れ、当時最先端のメディアの名を

冠した「ラジオ焼」は、子供たちのおやつとして大人気でした。

ラジオがエンタツアチャコ全盛期の漫才を流していた昭和初期

の話です。




ここに会津屋の初代店長という一人の英雄が現れます。

昭和10年のある日、大阪は住吉の会津屋で、スジ肉入りのラジオ焼を

食べていた明石の客がこう言いました。「ココは肉かいな。明石ではタコ

入れて食べてるで」と・・・・・

 もし初代店長が、この台詞を聞き流してしまっていたら、あるいは

明石焼の店に鞍替えしていたら・・・今のたこ焼はなかったかも

知れません。




しかし英雄は敢然と立ち上がります。

タコに合う「ラジオ焼」の生地の研究に・・・

こうして「明石のタコ」と「ころも」に味をつけて焼いた大阪の

「たこ焼」が生まれました。
 同じ昭和10年にはプロ野球チーム

【阪神タイガース】が誕生しています。かの有名な道頓堀のグリコの看板

が設置されたのも同じ年。さらに、心斎橋そごうの開店も、地下鉄

難波駅の開通も、ついでに当時、大阪帝大講師であった湯川秀樹の

ノーベル賞論文となる「中間子理論」の発表も、すべてこの年。




こうなると、たこ焼は正に大阪名物となる宿命の下に誕生したといっても

過言ではない! …ような気がします。 で、凄く素朴な疑問ですが、

なぜタコがそんなにウケたのでしょうか???その秘密を追うには、

やはり、あの一言に戻らねばなりません。。。。「明石ではタコ入れて

食べてるで」。。。兵庫県明石市 明石港は瀬戸内でよく獲れる鯛の漁港

で有名です。最近明石大橋が架かった明石海峡は、わずか3.5kmの

狭い幅をぬって瀬戸内海の海流が大阪湾に注ぎ込む潮の早い海。

この明石の早い潮流を元気に泳ぐ明石蛸(たこ)は、その激しい運動量

から身がギュっと引き締まり、豊富なエサにも恵まれて、コリコリと

した歯触りが美味な名物タコなのであります。

今は高級品ですが、かつては漁獲量の多さから明石の魚市場「魚の棚」

では、名物として売られるだけでなく毎日の食卓をも飾る、とても

身近なタコでした。



 
さて、江戸末期。卵の白身を硝石で固めた明石玉というべっ甲の代用品

が発明され大正時代まで大いに作られました。この明石玉作りのとき、

余った卵の黄身を軽く焼いて、戯れにタコを包んでできた料理が

「明石焼」です。大正時代にはダシに漬けて食べる今の明石焼スタイル

が完成。現在に至ります。




つまり明石焼はたこ焼より早く誕生しているのです。

かくして、明石の名物がヒントになり大阪のたこ焼が誕生

した訳ですが、ちなみにこの明石焼、現地では「玉子焼き」

と呼びます。「明石焼」の名は芦屋のご婦人による命名だとか。

阪神地域では、たこ焼も明石焼も「どっちもタコ入りや」ということ

で、まとめて「たこ焼」と呼んでしまうこともあるそう。

ちょっとややこしいですね。




そもそも関西は、明石や和歌山などタコの一大産地であったことが、

たこ焼がヒットした遠因ではないかとの調査結果もあります。

 明石焼の発祥には、主婦が卵焼きの具材に困った挙句…という説も

根強く残っていますが、江戸時代末には、炒り卵やゆで卵はあっても、

今の厚焼き卵や出汁巻卵の形をした「卵焼き」は、まだ存在してない

との情報をキャッチ。では、もしかしてあの卵焼きのルーツも

明石焼かも知れない?! 




そんな訳で新しい大阪の味としてヒットした「たこ焼」

ですが、間もなく太平洋戦争が起こります。大阪は数度の大空襲の

ために壊滅状態となりました。そして終戦・・・焼け野原となった

大阪に、次は食糧難が襲って来ました。 配給で手に入る貴重な

食料のメリケン粉をどう大事に食べるか。見直されたのが あの

「たこ焼」と「一銭洋食」でした。




たこ焼にせよ一銭洋食にせよ、生地を作る時に水を多目に

加えれば、少量のメリケン粉でも腹の足しになる程度は焼けるのです。

これぞ正に「水増し」と言うべきでしょう。生活するための、生きて

いくための人間の知恵ですね・・・。たこ焼の「表面カリカリ中トロリ」

と言われる独特の食感の秘密は、案外こんなところがルーツかも

知れません。 さて、元祖たこ焼は生地に味つけし、表面に何も塗らず

に手で直に触って食べるものです。一方の一銭洋食は具材を多く

入れて表面にソースを塗って食べるものです。

何せ食糧難の材料不足。誰かがたこ焼の鉄板でタコの入った

一銭洋食を作ったら…。表面にソースを塗ったたこ焼の誕生の瞬間

です。 




少し食糧事情が落ち着いて来ると、ただの

一銭洋食では商売が厳しくなってきました。主食として物足りない

のです。やはり駄菓子が非常食として脚光を浴びた一夜の夢か?




そこで料理人たちは、一銭洋食のソースに独特のトロみを加え、

いろんな具材を挟む工夫を凝らしたのです!。挟む食材は多彩を極め

ました。イカでもブタでも牛でも麺でも、具材は客のお好み次第。

「お好み焼」誕生の瞬間です。



原爆で壊滅的打撃を受けた広島でも、大阪と同じようなプロセスで

広島風お好み焼が誕生しています。大空襲にあった東京では、

もんじゃ焼人気が復活します。そして、一部地域では、その美味

と手軽さから、輝かしい主食の地位を取り戻すことになるのです。

 たこ焼に話を戻しましょう。

 



たこ焼は、食材が同じだけにお好み焼き屋で売られることも多く、

お好み焼の発展に影響を受けます。関西風お好み焼といえば、生地に

卵や天かすを入れて具材と一緒に焼き、表面にソースを塗って、

青海苔と鰹節をパラパラとふりかけ、さらにマヨネーズなんかを

トッピングして食べるものです。たこ焼もこの調理法の影響を

受けました。卵入り、天かす入りの生地に、ソース、青海苔、鰹節、

マヨネーズなどを表面に施した、トッピングたこ焼の誕生です。

 


高度経済成長時代、高速道路と新幹線で日本が狭くなると、地方の

名物が一気に全国流通します。大阪万博での出店の想い出も追い風

だったのでしょうか。たこ焼は大阪名物として全国に名を馳せます。

ところが、流通したのは真正大阪たこ焼ではなく、お好み焼き屋が

片手間で出来るトッピングたこ焼の方でした。

また、露店で売られていたタコのない「ちょぼ焼」を東京に持ち帰り

「たこ焼」と称して開業した例もあるそうです。

タコのないたこ焼、ついに誕生です(笑)。



いえ、笑えません。お膝元の関西でも明石市から大阪市内まで急行で

わずか一時間。通勤圏内の2都市間でたこ焼の名のつく料理が2種類。

また、同じたこ焼でも店によって材料が違う、レシピも違う、トッピング

も違う。マニアは具材の多彩なものをちょぼ焼と呼んでたこ焼と

認めない。しかも筆者は「たこやき」と大書された露店で

「タコの丸焼き」まで見てしまった…。あのぅ、確かにタコ焼き

なんですが、いくら何でもそれはどうかと…。 …あぁ、珍種 たこ焼 

奇奇怪怪。しかし、本場大阪。何せ約6割の家庭がたこ焼き器をもつと

いう伝説が囁かれる土地柄。人気商品のたこ焼だからこそ、味と値段と

アイデアで勝負しないと商売になりません。バリエーションは豊かに

なっても「これぞ大阪のたこ焼」と呼べる味の奥義は、国や府の保護を

受けない無形文化財として(?)大阪の人々に大事に保護され、今日も

美味しく語り継がれているのです。




世がバブルと浮かれていた頃を知る世代も早や30代も半ば。

JAPAN AS NO.1なんて騒がれていた頃には、高校生までがデートに

イタリアンなんかを食べていた時代。

この頃、海外で日本食ブームが起きました。小麦粉とタコと鉄板が

あればOKのお手軽なファーストフードTAKOYAKIは、アニメやゲーム

などの日本文化とともに、日本食レストランのメニューとして少しづつ

輸出されていきます。 1990年代の日本。デフレの吹き荒れる中、

にわかに起こった関西ブームのなかで、たこ焼は全国のアイドルと

なりました。




大阪の旅行ガイドにも「たこ焼」、グルメ特集にも「たこ焼」、果ては

全国チェーンの店がオープン。ついに、冷凍食品のたこ焼まで誕生。

もう、とどまることを知りません。

 

 
そして、台湾・中国・韓国など東アジア圏では、日本資本と無関係な

「たこ焼の屋台・露天商」も出現!すでに「日本食」ではなく現地

ならではの調理がされていて、その中途半端な味つけが日本人

旅行者のホームシックを誘います。海外で土着化するたこ焼。

もはや、ワールドワイドでっせ!

2002年4月。日本人が発見した小惑星6562号に、TAKOYAKIという

名前がつけられました。もちろん、国際天文学連合が認めた世界中で

通用する正式名称です。




国立天文台が「宇宙ふれあい塾2001」の席上、大阪の子供たちに

プレゼントした名前なんだそう。  とうとう、宇宙まで

行ってしもうたか!丸いものを見ると何でもたこ焼に喩える大阪人。

地球から、はるか約4億Kmの彼方にある惑星TAKOYAKIに思いを

馳せつつ夜空を眺めれば、いつもの屋台のたこ焼も値段の割に高尚な

食べ物に思えてくるから不思議。

台湾の屋台でも爪楊枝はきちんと2本入っているだろうか?容器は

フネと言うのだろうか?さらなる研究課題を胸にたくさん出てきた

のでまとめてみます。





○煎餅 ⇒ 小麦粉を焼いて食べる中国から来たお菓子。

○麩のもの ⇒ 小麦粉を水や酒でとき、焼きながら具を挟むお菓子。

○もんじゃ焼 ⇒ メリケン粉を水でとき、鉄板で焼きながら桜エビなどの具を挟むお菓子。

○どんどん焼 ⇒ もんじゃ焼の水気を少なくしてお持ち帰り用にした          屋台販売のお菓子。

○一銭洋食 ⇒ 関西仕様のどんどん焼を軽食として売り出したもの。

☆明石焼 ⇒ 卵の黄身に明石蛸を入れて銅板で焼き、ダシにつけて   食べるお菓子で、たこ焼の先祖のひとつ。

○玉子焼 ⇒ 明石市では明石焼をこう呼ぶ。

☆ちょぼ焼 ⇒ 窪みのついた鉄板で小麦粉を水でといた生地を窪みの
ついた鉄板で焼き、中に具を入れて食べる、たこ焼の先祖のひとつ。

☆ラジオ焼 ⇒ 小麦粉をダシでといた生地を窪みのついた鉄板で焼き、 中に具を入れて食べる。ちょぼ焼きの進化形。

☆なにわたこ焼 ⇒ ラジオ焼の具を明石蛸にしたもの。生地の味つけが          絶品で、ソースなどを塗らずに食べる元祖たこ焼。

☆トッピングたこ焼 ⇒ 生地の味つけを抑え、ソースに青海苔、鰹節に
           マヨネーズと、お好み焼に似たトッピングで
           食べるたこ焼。  現在の主流。

○お好み焼 ⇒ 一銭洋食に野菜をはじめ、様々な具を挟み込んだヒット         大衆食。

○タコの姿焼 ⇒ 筆者も一度しか見たことのない、幻のたこ焼。

☆海外のたこ焼 ⇒ 小麦粉料理は世界中にあります。日本独自のたこ焼 にも お国柄が反映されるようになってきました。

○小惑星 ⇒ 国立天文台の粋なはからいに拍手。

                    「たこ焼進化論」より




posted by 毎日たこ焼 at 20:49| 兵庫 ☀| Comment(3) | TrackBack(3) | たこ焼の歴史は、人間が生きてきた証・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いつも、楽しく拝見しています。
今回は、すっごーーーーい!!! 力作で…
タコ焼きに対する愛情とかが、ビンビン伝わってきました!!
これからも、がんばってください。
Posted by nobuddy at 2007年09月14日 04:01
長かった〜!
でもすごく興味深くて、読み終えてしまいました^^
Posted by marurun at 2007年09月14日 09:48
はじめまして。
素晴らしい!たこ焼きバンザイ!
…あ、広島ですけど。。。

私の好きなのは、ココの分類によると
「なにわたこ焼き」ですね。
でも、それにちょっとマヨネーズをつけると
いっそう好きなのであります。

すみません!生協の冷凍ですが。
底の平たい、冷凍にありがちなまがいものですが、
広島でおいしいたこ焼きには、まだ一度しか
出会えていません。

唯一の「これはおいしい!」と思ったのは
デパートで友達が買ってきてくれた、
関西から出店していたお店のもので、
名前もわからず、広島の、とは厳密にはいえません。

やはり、関西に行った時、銭湯から出たあたりで
売っていた屋台のおっちゃんのたこ焼きが
おいしかったです。

あ、初コメで長々とすみませんでした。( 〃▽〃)ノ
Posted by なのはな at 2007年09月19日 11:15
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